石の独り言



     主人は真夜中にふっと目を覚ますと、暗闇で手を伸ばし、枕元に並べられた私たちを触ることがある。
     そして、「寂寞は赤子のほっぺのようだ」とか、「普寛はまさに石だな」とか、ぶつぶつ言うと、
     また眠りに落ちる。
     私たちは息を殺してその様子を見守るのだが、普寛は少し寂寞にやきもちを妬く。
     それでもお互いプライドがあって喧嘩などしない。
     私たちは、仲間の中でも最後まで生き残ったエリートだからだ。
     川原で日に晒され、ばらばらに壊れてゆくもの。
     玄翁であちこち叩かれ、これはいい、あれはだめと選別されてゆくもの。
     家に運ばれ暗がりに放置され、さらに水桶に浸かり、ひびが入ったと言われて捨てられるもの・・・
     枕元まで辿り着けるのは、ほんの一握りにすぎない。百個に一個の幸運者だ。
     それでも少しずつ仲間が増えてゆくのは嬉しい。

     主人は言う。「男はみんなトム・ソーヤー、夢がなければ生きていけない」と。
     私たちはそんな主人の行動を日がな一日眺めている。暇さえあれば窓を覗き込んでいるあの雀たち
     よりもずっと・・・。



       猿と村雨石

     村雨石は私たち石仲間の間でも有名なブランド石で、主人の硯作りのきっかけにもなった石だ。
     村雨石の産地は周知で、人に会うこともしばしばあるようだ。
     ある日、主人が他を探そうと近くの山へ入った時のこと。頭上にある崖から、しきりに何かが
     降ってくるので見上げると、猿が主人めがけて石を投げつけてきたのだという。
     数匹はいそうな気配だったので、あわてて引き返したそうだが、笑うに笑えない体験だったようだ。
     昔話なら、その猿の投げた石が村雨石だった、というオチがついたかもしれない。
     その後も主人はそこを幾度となく訪れ、とうとう村雨石を土産に持ち帰ることができたのだが。



       焦げた道真像

     あの天満宮に今も黒焦げの道真像はあるのだろうか。
     主人が以前奉納したという、栗の木で作られた道真像だ。
     その天満宮の梅は、夏の盛りまで実を残し、主人が摘みに来るのを待っている。
     主人はその熟れた実を両手のひらほど摘むと、塩漬けにし、冬まで冷蔵庫で保存する。
     そして、真冬に初夏の味を楽しむのだという。
     そのお礼に道真像を奉納したのだが、しばらくしてそこを訪れると、黒焦げになった像がお堂の
     真ん中に鎮座していたそうだ。
     近くに焚き火の跡があるところをみると、道真像は火にくべられたのだろう。
     だが、なぜ再びお堂に戻されたのか。
     栗の木は枕木や土台に使われるほど堅くて丈夫な木で、火にくべると大きな音を立てて爆ぜる。
     ひょっとして、その人は焚き火から飛び出た像を見て、バチがあたったと思ったのかもしれない。
     何年もそうして置かれていたが、そのうち、天満宮の周りには家が建ち並び、主人の足もいつしか
     遠のいてしまったようだ。



     空木の白い花が咲く頃、主人は念願だった作業場を構えた。
     私達も布に包まれそこに引越しをしたが、山の裾野にあるその作業場は主人を飽きさせることなく
     魅了しつづけ、私達は布に包まれたままひと夏を過ごすことになった。